オリエントというのはヨーロッパから見た東側のことです。意味は「東方」です。今でいう中東ですね!
イランとか、イラクとか、あそこらへんです。どんなイメージがありますか?なんとなく、砂漠っぽいイメージが持てたら最高です。
要するに乾いてたんです。乾燥してたんです。
しかも暑いんです。砂漠だね!!
みんな水が欲しいので、
文明は川沿いで繁栄しました
乾いてる土地なので、農業をするのも大変です。そこで
灌漑農業
をすることにしました。
農業を始めると、人々は定住をするようになります。すると文明もレベルの高いものになっていきました。
このようにして栄えてきたのが
メソポタミア
と呼ばれる地域です。(ティグリス・ユーフラテス川)
このメソポタミアにはいろいろな言語を話す人たちが集まってきたので、とても複雑な歴史になっています。
このようにメソポタミアはティグリス川とユーフラテス川によって繁栄していましたが、ナイル川の恵みを受けて繁栄していたのが
エジプト
です。
これしか頭に浮かばないでしょう。
エジプトは、実は異民族が国を支配した時期があります。しかし、ひらけたメソポタミアとは違い、砂漠と海に囲まれていたため、エジプト語系の人たちが長い間、文明を営んでいました。
「エジプトはナイルのたまもの」という言葉があるように、エジプトはナイル川なしにはありえないものだったのです。
エジプトを理解する上で欠かせないものが古王国・中王国・新王国という流れ!
古王国ではナイル川下流のメンフィスが栄えていました。そして有名なクフ王のピラミッドも古王国の時代。
中王国ではナイル川上流のテーベが栄えました。そしてシリア方面から遊牧民のヒクソスが侵入。国内は大混乱です。ヒクソスがやってきたのが中王国。
新王国でもナイル川上流のテーベが栄えていましたが、アメンホテプ4世という王様が突如都をテル=エル=アマルナにします。さらに今までの神々の崇拝を禁止!!アトンというたった一人の神様だけを崇拝するよう強制します。アメンホテプ4世もイクナートンと名乗ります。そして、アマルナ美術が誕生します。テル=エル=アマルナで生まれた美術様式なのでアマルナ美術。特徴は、写実的。写実的なアマルナ美術。これは模試などで記述でよく書かされます。
そしてエジプト人はミイラをよく作りました。ミイラとセットで出てくるのが「死者の書」。どんな文字で書かれていたのかというと、神聖文字(ヒエログリフ)です。神聖文字はとても難しく、みんなが書けるものではありませんでした。そこで簡単にしたものが民用文字(デモティック)です。文字はできても書くものが無いとお話になりません。民用文字はパピルスという紙に書かれました。そして太陽歴が発達し、この太陽歴はローマでも使われるようになります。
そんな2つの地域の間にあったのが、
シリア・パレスチナ
です。
ここは、土地が豊かで、農作物を育てるのに向いていました。そこで育てた農作物をもとにセム語系の人たちが地中海交易をしていました。
セム語系ってなに?気にしないでください。用語として出てくるだけで試験では出てきません!!
こうした古代文明は
神権政治
で人々をまとめていました。
神権政治というのは「俺は神の代理やから言うこと聞きなさい!」とか「私が、神です。言うこと聞きなさい」といったように神様や、宗教の力をもとに、みんなを従える政治のやり方です。
ここまでが、メソポタミアの大体の解説でした。
シュメール人
- ウル、ウルクといった都市国家ができる。
- 王、神官、役人、戦士などの階級社会。
- 街の中心に「ジッグラト」という神殿がある。
- ・栄えていたが、アッカド人によって征服された。
シュメール人はこれだけ覚えていればOK
アッカド人
- サルゴン1世がいる。
- メソポタミアを初めて統一した。
これしかないです。次!
アムル人
- バビロン第一王朝をたてた。
- ハンムラビ王
- ハンムラビ法典、復讐法(目には目を、歯には歯を)
ヒッタイト人
- はじめての鉄製の武器。
- バビロン第一王朝を滅ぼす。
- 小アジアが拠点(現在のトルコ)
- エジプトとも戦った。
カッシート人
- 南メソポタミアに侵入。
- よく正体がわかっていない。
- ヒッタイトがバビロン第一王朝を滅ぼした後のメソポタミアを支配した。棚から牡丹餅
いっぱいいますね!〇〇人がこれからもたくさん出てきますが、要点はこれだけです。
そして、メソポタミアは多神教の世界でした。そして、信仰される最高神も、民族が変わるたびに変わりました。
シュメール人が作った楔形文字がいろんな民族で使われ、言語が変わっても、みんな粘度板に刻まれた楔形文字を使いました。
また、六十進法もこの時生まれました。教科書に出てくるのはこれだけです。